血と暴力の国 (コーマック・マッカーシー)
映画「ノーカントリー」の原作であるコーマック・マッカーシーの小説であるが、実はワタシ映画は未見。
なんかね、一昨年に観た「悪の法則」という映画の悪夢を未だに引きずっていて、その原作者の小説を読んでみようと思いたち手に取った次第。
一口にこの小説のプロットを説明すると、マフィアのお金をたまたま拾ってネコババした男が暗殺者に追われ逃げ回るというもので、スリラーのようでありますが、この暗殺者の持っている理不尽にも思える行動ロジックが暗示めいていて、ただ怖がるというのでなく読書に考えさせるものを持っています。映画「ノーカントリー」の暗殺者役の俳優も言っている事ですが、あの暗殺者は自然災害や事故といった突然の抗えない人間の死を象徴しているんですと。
今まさに生きている人間にとっては突然の死なんて理不尽この上ないワケですが、いつどんな事で死ぬかなんて誰も分かったものではないし、天災・病気・事故・戦争・犯罪、死にまつわりそうなもの全てが理不尽じゃないですか。ガンで死んだ人がいます。まぁガンなんだからしょうがないですねなんて思う人もいるかも知れませんが、その人がガンだと分かった時の本人やご家族は「一体なんで⁉︎」と理不尽に思ったのではないでしょうか。
死はそれがどんなものであっても理不尽だと生きている人は思います。多分。
死にはだいたいきっかけがあってそれにより人は死に至るワケですが、そのきっかけは人それぞれだし事前にそれが何かを分かる人はいません。まさにいま死ぬ人が「あれがそうかも」と分かる事があるかも知れませんしないかも知れません。どちらにせよ絶対に死なない生き方なんてないんだからそのきっかけを避ける事は出来ないのは間違いない事ですね。
コーマック・マッカーシーの小説はそういった死生観を持っているものだと思います。また直接的な感情表現(彼は怒ったとか悲しく思ったとか)を書かない所謂ハードボイルド文体がその思想を演出して心に突き刺さってきます。
死は理不尽という裏返しとして、なんで生命ってあるのだろう、産まれるってどういう事なのか生きているってどういう状態なのかというのも説明しづらい奇跡的な事だと学者達は言います。このとき人間に都合のいいことは奇跡と呼び都合の悪いことは理不尽と呼んでいいかもしれません。ここで言いたいのは死をうまく説明出来ないのと同じく生も上手に説明出来ないということです。
いま、色々な死のかたちを目に触れる機会が増え、不安に思う人が沢山います。ワタシを含めて。
ただ死はいつだって理不尽だし生きてる事だって不条理なんだなと。これから先、理不尽も不条理もなくならないでしょう。どうすればよいかと言えば、子供の宝物と一緒です。よいと思うもののよさがうまく説明出来なかったとしても、よいと思えばそれを大切にすればよいのです。
そんなことを思った読感でした。
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