January 07, 2015

北斎のタッチとメビウスのタッチって何か通じるところがあるね

Hokusaimisimagoe
 去年の暮に衝動買いした北斎の木版画。
 この絵を一見して、山や雲の表情にぐっと来たワケなんですが、遠い過去の人の描いたものとすぐ思えなかったんです。
 北斎といえば富嶽三十六景とかがすぐ頭に浮かびますが、所謂シンボル化されたあの富士山のイメージや江戸時代を匂わす景観が排除されると、もうちょっとオサレな感じ、例えばバンド・デシネのメビウスみたいな印象だと思いませんか?と。
 ヨーロッパの絵画史でも浮世絵の影響というのはよく語られており、そこで語られる技法などから「なるほどね」と判ったようでいながら、どうしても「江戸の風俗」というモチーフが持つ意味をワタシ達は当時の木版画に求めているところがあって、絵そのものを味わうのではなく江戸を意味するモチーフを味わっているきらいがあったなと気が付いたわけです。
 別に絵の味わい方なんて人それぞれでよいのですが、なにか目からウロコが取れて新しい見方が出来るようになったのを記念して購入。版画なのでそんなにお高いものではありませんことよ。

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October 20, 2014

天祭一◯八での戦利品とか

Narumioribe
 増上寺で行われていた天祭一◯八へ行って来ました。この催し物は早いハナシがお寺で行う日本の美術工芸の文化祭みたいなものなのですが、古田織部を主人公にしたマンガ「へうげもの」の協力出展があり、新鋭の陶芸作家の作品が並ぶものです。
 思えば今年になって3月まではストーンズの来日で盛り上がり、4月からはベルマーレに熱くなり、6月からはなんと陶芸作品にと、4半期ごとに自分の中にブームが訪れていたのですが、10月に入ってからはストーンズもdvdを出す予定があるみたいだしベルマーレはJ2優勝するし、陶芸はこの催し物でさらに熱くなっちゃって年末までダンゴ状態でどうなって行くのでしょう、ワタシ。
 さて、天祭一◯八。増上寺の畳敷きのお部屋のテーブルに並べられた作品(もちろん売り物)を手に取りつつ、陶芸作家の方と色々お話ができて大変楽しゅうございました。
 写真は安洞雅彦氏の豆向付。実際に存在する古い織部焼のミニチュアを沢山作っておられる作家です。この作品は鳴海織部といって絵を描く側と緑釉をかける側と土を変えて作ってある焼物で、だいたい7センチ四方のかわいい小皿です。オリジナルは東京国立博物館にある桃山時代の物。実物は20センチ四方の鉢だそうで。
Narumi2
 裏から見ると違う土を合体させて作られているのがよくわかりますね。白い方に緑の釉薬をかけると発色が良くなるとか、赤い方に模様を入れるとオツだとか、それを一枚に合体させるとカッチョイイだろうとか、桃山時代に考えたのが面白いですね。
 面白いと言えば、この幾何学模様も何の発想から出たのかとか興味がつきません。以下のリンクはそのオリジナルの写真。
C0035792 織部角鉢 - 東京国立博物館 画像検索 織部角鉢(表)
C0036929 織部角鉢 - 東京国立博物館 画像検索 織部角鉢(裏)

 氏いわく、同じ物を作ってみることで織部焼について色々な新しい発見があるなんてお話をされておりましたが、音楽でも実際にコピーして演奏したり歌ったりしようとすることで新しいその曲への理解が深まったりするもので、なるほど激しく同意の想いでありました。

 もう一個。小孫哲太郎氏のぐい呑み。
Komagoguinomi
 千葉の生まれだそうですが沖縄で学んだ「描き落とし」という技法で彼の見えている世界を表現しているのだと語っておられました。コレ沖縄の匂いがしますね。確かに。天辺には屋根をあしらっていて、ぐい呑みとしても使えますが、伏せた状態でも作品として主張しています。屋根は青は沖縄の空のイメージでしょうか。
Komagoguinomi2
 パッション溢れる作品ですが、使い勝手も良さそう。大事にさせていただきます。

 というわけで天祭一◯八、なかなか有意義なものでありました。

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July 21, 2014

ちょっと前ですが木梨憲武展に行った感想など

20140417132153 少し前になりますが上野で行われていた木梨憲武展を観てきました。
 この展覧会、ワタシはネットのニュースで知ったのですが、どこでどんな宣伝をしていたのか全く分かっていなかったにもかかわらず、子供からお年寄りまで世代を超えて大盛況でとても驚きました。ゴールデンタイムのテレビで宣伝してたのかな?
 だいたい美術展というと作家にもよりますが観に来る人の世代・客層ってどこか限定されるものがあるじゃないですか。それがみごとに垣根をぶち壊し、ファミリー向けとして認識されていることにまず驚いた次第です。
 そして圧倒的な作品の数は多分取りつかれたように描いたんだと思わせるものがあって本気度をうかがわせます。
 ノリタケとアートの出会いは番組の企画でやった岡本太郎のパロディーみたいなものから始まっているので最初は岡本太郎的な肌触りを持った作品が並びます。岡本太郎的とは何なのかを的確に捉えているのできちんと凄味を持っていて感心。そこから作風は印象派的な点描スタイルを経てジャクソン・ポロック風になっていったと思いきやバスキアも入ってきたりして縦横無尽、なんじゃこれは?と思いつつもそのセンスは心地良さがありました。こういった心地良さは多分、テーマが「人と人のつながり」というのが根底にあって「ほらコレってちょっと良いでしょ」って見せたい気持ちで作品を作っていることなんだと思います。アートって作者の心の闇が入るものなんですがそういうのを排除した感じ。
 で、こういうの観て思い出すのがバンクシーの映画「EXIT THROUGH THE GIFT SHOP」だったりして。じゃあノリさんはミスター・ブレインウォッシュなのかと。
 あの映画でバンクシーはミスター・ブレインウォッシュをけちょんけちょんに言ってますが、それはバンクシーの描いたヤラセのネタバレを含めて、アートという名のもとで一儲け企む者に対しての批判だったワケです。ノリさんのこの展覧会は、まー少しはお金のにおいがしなくもないですが、決してセレブ向けではないファミリー向けのものだったわけでひいてはそれは何だったのかというと、アートという様式を使ったエンターティメントだったのだと思います。
 あまり美術館に行った事がないコが「これすごーい」「うわぁキレイ」とかね、素直に作品に向き合う場をファミリー向けに作ったのが凄いなぁ。
 そう木梨憲武は芸術家ではなくてエンターティナーなんだと思って会場に行くとその懐の深さに震撼しますね。


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April 27, 2014

4月のまとめはバルテュスを発端として

Danjikinotsuki 写真雑誌で知った原久路の作品は、なんとも言えない妖艶さが醸し出されていて、ワタシはたちまち虜になってしまいました。大正時代の診療所を一年借りきって撮影された情景と撮影・現像手法は、全くもって遠い昔に撮られた写真のように感じられるように意図されていますが21世紀の現代作品であります。
 この写真を見て「あれっ」とお気づきの方いますでしょうか。何処かで見た何かの絵に似ていると。それはまさに今東京で行われているバルテュス展のポスターです。十中八九。
 似てるというのではなく、バルテュスの作品を写真で再構成している作品なんですね。原久路の作品は同じ様な構図にしながら全く同じではなく日本の大正時代的なニュアンスを取り入れることで艶かしさを増幅させているところが賞賛に値するものだと思います。
 で、その原久路作品をじっくりとっくり眺められる様な作品集はないものかと探したのですがございませんで、見つけたのが唐作桂子の詩集。装丁がイカしていて表紙を眺めるだけでもなかなかいいじゃんと購入。中をあけてみると最近触れていなかった感覚の言葉にぞくりとする。表紙だけ眺めるなんて言ってすいませんでした。そう。最近、詩といえば流行歌の歌詞くらいしか意識できるものを身近においていなかったし、その流行歌の詩は近年幼稚になるばかりだったからね。真面目に言葉での表現を考え直す良い機会になったなと。特に生な女性の感覚から発せられる言葉はぞくぞくしますね。
2014_balthus そんな前段あり時間を見つけてバルテュスへ。ここで強烈に感じたのは構図・画面構成の計算高さ。妖艶さとかよりそっちの方に気が行って、人物がなく山とか窓だけがモチーフであっても鑑賞に耐えうる力に感服。

 通常なら3つに分けて書く記事でしたが、4月の日記のまとめということで一気書きでした。

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April 19, 2014

石田徹也展

Ishidatetuya 石田徹也の作品は雑誌や本の表紙になったりしているので見かけた事がある方もいるでしょう。今、平塚美術館でその展覧会が行われています。初期の作品から31歳で生涯を閉じるまでの作品と創作ノートの展示です。
 カッチリとした遠近法とマンガ的にデフォルメされた人物、そして社会の中での不安感を中心としたストレートなメッセージテーマで描かれた初期作品はどちらかと言うとイラストレーターの風刺画といった印象で、ノートの本人の言葉から察するに自虐的ギャグに近い意識の上で楽しんで描いていたと思われるのですが、ワタシにはブラックな加減が痛く刺さって心地良いものではなかったし、ずっと観ていたいと思いは起こりませんでした。
 しかし彼の中でメッセージ・テーマで作品を作るのをやめよう、ただ自分の好きに絵を描こうと決めた時期があり、それ以降の作品から面白く感じられるようになったのは興味深い体験でした。なんだかホントに笑いながら観てしまったし、じっくり観ていたい気になる絵になっているんです。多分それは、メッセージが強いと絵は単なる伝達手段としてだけ機能してしまうために、伝わった瞬間に絵はその役割を終えてしまうからなのかもしれません。そんな事を教わったような体験でした。
 また芸術とイラストの線引きとか色んな事を考えてしまったな。自分に答えはないんですけどね。


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May 06, 2013

クラコレ観に行きましたが印象に残ったのはルノアールよりもジョバンニ・ボルディーニだった

Clarkcolle 三菱一号館美術館は東京丸の内の趣きある美術館で今、クラーク・コレクションという印象派が多く集まった展覧会をやっています。この展覧会の特筆はルノアールの女性画が多く集まっている点だそうですが、何かの宣伝でみたドガの「稽古場の踊り子たち」が気になっていて足を運びました。
 コレクションは印象派好きの方には「ど」ストレートな佳作が揃っていて見ごたえありましたが、ワタシは何故か印象派ど真ん中ではない写実主義あたりのジョバンニ・ボルディーニに心惹かれた次第。
 その中でも特に「これは・・」と思ったのは「道を渡る」という作品。
Giovanni_boldini これってスナップ写真の世界じゃないですか?肖像画でも風景でもなく街の一瞬を切り抜いている。
 展覧会のほかの作品は動きのないものがほとんどで、これだけは動きのある絵だったのが印象深かった点かもしれませんが、ジョバンニ・ボルディーニという名前もあまり聞いたことがなかったので記憶にとどめておこうと記事にしました。

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September 04, 2011

Wall and Piece(Banksy)

6762f9fe 単館上映映画シリーズで観たいと思っているけど中々チャンスの出来ない作品に「イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ」があり、その評判を聞くたびに悶々とした気持ちになっておりましたが、バンクシーの日本語版作品集が出ていたので手に取りました。
 グラフィティ・落書きはアートかどうかという議論は各国で揉めにもめておりますが、そもアートとは何かを定義しないと進まない議論であるという性質を持っているという事実があり、それが揉めているってことは世のアート事情って根源的なものがフワフワしてるってコトだよなぁ。そうなった経緯は商業的な思惑であったり画壇や芸術院みたいなところの権威であったりで、そういったものをぶち壊し、笑い飛ばしてやろうという心意気がバンクシーですね。
 実際彼の作品はスタイリッシュだし、ずっと観ていたい気持ちになるものばかり。そういったものを芸術的価値と捉えてもいいでしょう。
 屋外でのグラフィティは絵自体の存在感と周囲の環境を借景にしたストーリーを持っていて、それぞれの作品が唯一無二だと思います。そういえば日比野克彦が平塚でそんなことをやっていたなぁ。あれも良い試みだったけど、バンクシーは更にスタイリッシュに、更に荒唐無稽に、更に反体制的な展開をしています。
 公共物に描いたり、美術館に勝手に展示したり、作品の内容は時に過激でありますが、そのメッセージはヤンチャでありユーモラスな部分が何処か優しくて、「それでもやっぱり人を信じたい、愛したい」という気持ちが滲み出ているように汲み取ります。興味のある方は、リンク先を辿ったりこの本を手にとってみてはいかがか?

 そういえばドラマばっかりで有名な山下清画伯の展覧会とかがあんまり催されてなく、その絵が人の目に触れないのも、日本の芸術の権威筋と関係してなかったからだと聞いたことがあるなぁ。

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May 25, 2010

アートリテラシーとは「妄想」である  味写入門(天久 聖一)

51rvbscb7l_sl500_ 美術手帖の5月号で秋本康が友人とアートを見に行くという企画に、勝間和代が連れられていた。
 勝間いわく「ワタシはアートに対するリテラシー(読み解く力)がないから・・」と大変消極的で、断る力を発揮できないカツマーを連れまわす秋本康のイジワルさが伝わってくる痛快な記事だった。
 ズバリの回答を持たないものが苦手な人がいる。そういう人は大概にして、その回答を持たないものに対して否定的な態度を取ったりするのですが、今回断らずに登場していたカツマーは立派だったねぇ。
 しかしアートに対する厳密なリテラシーってあるのかね?確かに作品の出来た過程とか知っていると面白いこともあるけど、結局その作品とどう向き合うかというスタンスだからねぇ。

 今回紹介している味写入門はイトイ新聞に連載していたものですね。アルバムに貼られなかった素人の失敗写真を色んな角度から見て味わってみましょうという企画。
 企画は面白かったけど、ワタシが本当に面白がれた写真は2枚くらいだったよ。勉強にはなったけどね。
 素人の失敗したという写真は「情報量がやたら多い」ってコメントがあって、それが面白かったなぁ。写真のテクニックって写っている情報量をうまくカットしていくことなんだねぇ。バカみたいにいらない情報まで写りまくっている写真が語るストーリーが、逆に面白いというか微笑ましいというか、それを味わおうということなんですけど。
 最後に天久聖一とかせきさいだぁの対談があって「味わうって妄想だよね」と言っていて、それにとてもうなずいたのでした。


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April 04, 2009

国宝 阿修羅展

Ca390141 花咲く上野のお山に阿修羅像のご尊顔を拝見しに行って参りました。
 随分前から楽しみにしていたのですが、ファンクラブが出来ているのは入会締め切ってから知ったので、残念ながら入会出来なかったよ。開館時間外に会員だけで見学出来るっていう特典がなんともうらやましい。
 朝から行って40分待ちという行列でしたが、そんなにストレスは感じなかったな。それにしても阿修羅含めそれ以外の八部衆も、表情のなんと素晴らしいことか。
 散々あちこちで語られているでしょうが、この興福寺の阿修羅像は異形の仏像でありながら、なんとも人間臭い表情をもっているところが堪りませんね。仏像というとアルカイック・スマイルや憤怒の仁王像に代表されるように、記号的に表情をデフォルメされているのが一般的だと思うのですが、このヒトの憂いを含んだこの表情たるやどうしちゃったコトなんでしょうね。正面の顔は涙ためているように見えるし、向かって左側の顔なんて唇噛んでるのよ。凄いねぇ。天平人おそるべし。
 阿修羅像は他の八部衆とは別の部屋に一人で展示されていたのですが、その部屋の緊張感もハンパなかったですわ。あのヒトひとりで正しく部屋の空気を制圧してしまっているのでした。やぁ、ビンビンきた。
 上野のお山は桜満開で、ごった返す人を尻目に、みはしのあんみつをお土産に買ってそそくさと帰宅。

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October 25, 2008

オフィーリア!

 アートな季節ということで、仏像特集やってたジイさん雑誌のバックナンバー(といっても8月に発売されたサライね)買って来て、「そういえば来年は東京に興福寺の阿修羅が来るんだよなぁ。行きたいなぁ」なんてのんびり読んでたら、目にとまったのはBnkamuraでやっているというミレイの回顧展。「オフィーリア」が来ているという。なんと10月26日まで!!これはイカン!行かんとイカン!のんびりしている場合ではない。
 雑誌やら何やらで予てから目が吸い寄せられていた絵画。イギリスのテート美術館のオフィーリアである。
 やっぱり凄い。人だかりも凄かったけど、それは皆そこで足を止めたら動けなくなってしまったからかも知れない。
 不吉なほど美しい。
 発狂して泉で死んだクダンのヒロインであり、死のイメージは当たり前の様に持っているが、死を連想させる他者のものとは違う。死した事による美が勝っている。なによりそれが不吉なのだが。
 まさしくガードルード曰く、人魚のように・・・水に生い水になずんだ生き物さながら。
 夏目漱石は単に、溺死した人をモチーフにして如何に美しいものを表現したかという捉え方でこの作品を語っているが、発想が逆である。死した瞬間が美しいのだ。
 他者の死を連想させるモノは、エロ・グロだったり何か漠然たる恐怖が存在するが、何故かここにはそれがない。死が恐怖を超えて美に昇華している。それがワタシのいう不吉たる所以である。それでもオフィーリアの表情には何とも言えぬ気持ちにさせるものがありますが。あれは恍惚なのか?

 堪能させていただきました。

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