世界伝奇行 中国・西遊妖猿伝編(諸星大二郎/佐藤健寿) 斉天大聖と飛葉大陸…
大型本は場所をとるので控えていたのですが、丸の内の丸善で手に取ったらいてもたっても居られなくなって購入。 結果、写真・イラスト・テキスト全てが良い具合でいい買い物をしたなと。ちょっと物足りないところがあるとすれば、「西遊妖猿伝」のテーマに触れず旅行記で終わっているこころでしょうか。それでも満足しましたが。
諸星大二郎の作品は、ストーリーに纏わる世界観が宗教の世界に踏み込んでいるところが、何とも懐の深さを感じさられて読み応えがあり、すきです。
「太公望伝」とかを読むと道教のものの考え方を肌で感じられる様な気がしますね。論理的な説明がないところにイマジネーションをくすぐられる感触なんだけど、何か必然性を理解させられる語り口なんだと思います。
それは当然地に足の着いた取材に基づいたものであって、この本はその取材旅行記として世に出ているのであります。
西遊記といえば、主眼となっているのは玄奘三蔵の求める仏教と当時の中国の主流である道教、シルクロードを西に行ってゾロアスター教などが混然とする世界であり、そうした人々の価値観の違いがカオスとして奇書として伝わっているのではないかと思います。
現在休止しているこの「西遊妖猿伝」の再開始のための取材記との事で、続きが楽しみですね。
さてそんな話は諸星大二郎の作品の書評なり何なりを読めばよく目にする内容なんですけど、今回敢えてこの記事を書いたのは「西遊妖猿伝」の主人公である悟空というキャラに既視感をずっと覚えていた事に端を発します。
悟空といえば、善なる正義の味方というよりは心を入れ替えた元悪漢というキャラであり、今となってはそういったキャラクターってゴマンと存在しているのでしょうが、漫画作品として読み込んだときに「この人ってワイルド7の飛葉じゃない?」と。
孤独な出生・凛々しいけどちょっと童顔・戦闘力の高さと凶暴性・強い奴にやたらと強いが不遇な人に優しい。そんなキャラクターは今のご時世沢山いてはるでしょう。でもなんていうんでしょうアクションシーンのスピード感が望月三起也的なんだよなぁ。
諸星大二郎の作品ってアクションで押すものが少ないのですが、流石に西遊記はアクションあっての物語。悟空の戦闘力は、アクションシーンだけでなく、立ち座りのちょっとした仕草や佇まいでも表現されるのですが、これがワイルド7の飛葉に凄く重なるんですよ。
吹っ飛びながら棒を振り回すみたいに、体の重心が中心からずれているポーズが多用される戦闘シーンとかね。
こんな事思ったのワタシだけですかね?今回それが言いたくて久しぶりにblogに投稿した次第です。
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