平塚ロケット
ベルマーレのクラカンへ行くのに美術館でクルマを停めて、時間潰しに平塚博物館を覗いたらロケット開発の特別展をやってて、これ又興味深いハナシを見つけたのでご紹介。(ちょっとワタシの脚色も入ってるけど御容赦)
日本の宇宙開発は戦後から始まったと言われますが、実はその前にロケットの為の火薬研究をしていた村田勉という男がいたそうな。
この人、当時平塚にあった海軍火薬廟にて研究所を建ててズッコンドッカン実験しては、爆風で大きな破片を食堂勤務のお姉さんの足元に落っことしたりして「きゃー」なんて迷惑をかけ、お偉いさんから「おめーいい加減にしねえと敷地使わせねーぞ」とか怒られてるマンガのような展開。
しかし彼の研究から開発されたロケット弾が硫黄島にて相当に米軍を苦しめると、かなり待遇が良くなって有人ロケットの開発を目指します。まあ結局兵器転用されて「桜花」という人が操縦するヤバいミサイルみたいのまで作るワケですが、米軍にどうやらアソコの工場は放っておくとマズイぞと45万発の空襲を受け平塚という町が壊滅してしまいます。東京大空襲が38万発と言われてますからそれを上回る物凄い攻撃だったんですね。
ここで一旦研究が途切れてチャンチャン。
そして戦後、ロケットの開発を目指す糸川英夫と空襲から生き延びていた村田の出会いがあって、ペンシルロケットから始まる日本の宇宙開発へと続くというドラマ。面白くないですか?
博物館の研究員の説明は、どうしてロケットは飛ぶかとか科学的な説明が先立っていたのですが、展示されていた資料から前述の様な人間ドラマが読み取れて、興味深かったなと思った次第です。
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