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July 28, 2013

「風立ちぬ」と言ったら僕らの世代は「今は秋」と続く

Kazetachinu1 宮崎の新作のニュースを聞いたときに面白いなと思ったのは、ジブリ作品の作品ではタイトルにかならず「の」という字を入れるというゲン担ぎが「平成たぬき合戦」が大コケした以来あったのですがそれをやめていることで、これは発表当時同時公開するといっていた高畑作品が「かぐや姫の物語」なんて無理やり「の」を入れちゃっているタイトルにしているのと比べても、宮崎の「自分の作品を貫くんだ」という決意いかばかりかと思わせるものでありました。
 さてその内容はというと、これまでは自然環境と文明の対立・共存、戦争と平和というテーマで作られてきた作品群でありましたが、そこから更に根源的に人間に根ざしたところの入り口まで来たのではないかという印象を感じました。それはなにかというと、男と女の共生です(すごく言い方悪いですね。他にいい言葉が上手くみつからなかったのですいません)。
 で、そういうテーマは子供向きとして作ってないドラマでは世の中に数多あるワケで、よくよく考えるに沢山ある理由は人間の生活に密着した永遠のテーマであるからなんですね。オトナになってからの必須課題と思っていいでしょう。今回の宮崎作品は「ぽにょ」でやった子供向けからオトナ向けの路線にするにあたって、この必須課題に取り組んだという理解をした次第です。
 しかしこれまでの作品ですと例えば自然環境と文明というテーマなら、あちらを立てればこちらが立たずみたいな葛藤が描かれるわけですが、今回の作品にはそういった葛藤がありません。主人公とヒロインは当たり前のように自分の思う道に突き進みます。その突き進み方を美しいと描いていてワタシは心打たれるものがありましたが、これって観る人がみれば男にとって都合のよいハナシと言われても仕方ないかもしれません。なんとも。
 先ほど「入り口まで来た」という言い方をしたのは、世の中はもっとジレンマに満ちているはずなのでそのジレンマが表現されたら、もう一歩踏み込んで泣けたかもねという気持ちであります。
 そうは言っても仲人夫婦とだけで行う結婚式のシーンとかとてもロマンチックで心に焼きつく場面だったなぁ。
 それとポスター描かれるヒロインの絵はクロード・モネの「パラソルをさす女」を連想させますね。絵のモデルだったモネの愛妻カミーユもまた短命。パラソルの絵の頃は幸せ絶頂だったころのはずで、そうした暗喩があるのかもしれません。


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