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May 05, 2011

北大路魯山人展 平塚市美術館

Rozanjinten 最近アートリテラシーという言葉をよく目にする。多分アートに限らずリテラシー(認識能力と解するのが最近の主流か)という言葉が流行っているからかもしれなくて、ワタシの興味がアートにあるから、そんな印象をうけているのかもしれない。
 リテラシーという言葉が流行る要因は何と言ってもネットの普及による情報過多であって、情報それ自体がたくさんあってもそれを有効に理解し活用できなければ無いのと等しい事に人々が行き当たったからである。だからリテラシーという言葉は「情報リテラシー」という意味でよく使われているが、その活用形としてアートリテラシーという言葉も浸透してきている。
 でもさ、芸術ってやっぱり心への働きであるわけで、どう認識(解釈)するか以前にどう心に入り込んで来るかなんじゃないかな。確かに色んな知識、たとえば絵画における記号化されているメッセージとか、そんなものが読み解ければ楽しみ方は広がるんだろうけど、研究家だって全ての芸術作品に対してそんな知識を持ち得ないワケで、単なる鑑賞として楽しむのであればその作品の素晴らしさは自分の心のまま「好き」「嫌い」というレベルで決めてよいと思う。
 なんでこんなこと言ってるかっていうと、たまに芸術作品の良し悪しの見方を教えてくれって言う人がいるからなんです。ワタシは研究家でも批評家でもないので困るんですよ、そういうこと聞かれると。多分研究家でも、作品の解説は出来ると思いますが、良いか悪いかは最終的にその人の好みに傾くんじゃないのだろうか。良い作品というのは、どれだけ心を動かされるかということだから。
 情報リテラシーの意義と混同して、良し悪しが認識できないと観ていない事に等しいという強迫観念にかられるのかも知れませんね、アートリテラシーを気にする人は。作品の楽しみ方は、良し悪しの判断ではなくて、それに触れたとき自分の心がどんな風に動くのかを感じてそこを面白がることでしょう。
 そういった意味で、芸術鑑賞の楽しみ方には大きく二つの方式に分かれると思っています。
 まずひとつは、作品そのものに心ゆだねる方式。ふたつ目はその作品を通して連想(誘導)される妄想の中で遊ぶというやり方。
 音楽の楽しみ方だって同じですね。ひとつ目の方式ですと「うわぁー、このギターフレーズすげぇ」とか言いながら楽しみますし、ふたつ目ですと「隣に女の子乗せて海辺のドライブ気分だなぁ」なんて妄想に入っちゃったりとかね。そういうのが鑑賞の楽しみじゃないですかね。。

 前書きが長くなりましたが近所の美術館で魯山人展をやっていたので観て来ました。
 マンガ「へうげもの」の古田織部にハマって、陶芸に興味が惹かれてるこの頃。そういえばBSでアニメも始まりましたね。中島誠之助の演出された語りがすこーしウザいんですけど、あの最後の名品紹介コーナーも好き。
 魯山人といえば、これまたもう国民的マンガになっているのでワカラナイ方は少ないと思いますが、マンガ「美味しんぼ」の海原雄山のモデルとなった書家・骨董屋・陶芸家ですね。初期「美味しんぼ」のエピソードの殆どは実際の魯山人のエピソードが元ネタになってます。美食家にして歯に衣着せぬものいい。「美食倶楽部」の発足。料理の薀蓄。
 さて、作品はどれも大胆かつ繊細な気配りがあってとっても良かったです。雲錦大鉢とか、いーねー。見飽きない。
 魯山人の作品は元々が美食倶楽部で使用するためのもので、料理を盛り付けることを前提に考えられていますから、やっぱりね、先ほどのふたつめの楽しみ方で鑑賞するわけです。楽しいですよ。
 「この雲錦鉢には熱々で湯気立ててるブリ大根をがばーっと盛るといいなぁ」とか「椿文鉢はカツオダシたっぷりきかせた熱い稲庭うどんを泳がせたい」とか「このお皿には皮がカリカリに焼かれた手羽の塩焼きだな」とかね。
 あー、腹減ってきた・・

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