卒業
今大きな声で言いたいことはツイッターとかで友人達みんなが言っていることなのでもうワタシが言及するまでもない。ここでは小声で、こんな事を感じたってことをメモしておきます。メモは結局自分のためなんだけど。
3月18日はその前の日の東京大規模停電の予告のパート2みたいなノリで、16時には退社するようにと勧告が出た。停電するから帰りなさいじゃなくて、業務を早く終わらせることで節電になるという主旨だったと理解し、焦ることもなく良い加減のところで切り上げて帰るかという気持ちで受け入れた。
前の日17日にはそのいきなりの予告で17時過ぎにJR駅は人であふれ返り、エライ騒ぎに閉口したので、やっておきたい仕事もあったから18日はみんなが帰っちゃったあともしばらくディスク仕事をしていて、とっぷりと日が暮れた頃に家路についた。
最寄の駅について改札を出ると、なにやら中学生か高校生くらいの明らかに子供っぽい子たちがたむろしている。七夕とかそういう大規模なお祭りでよく見かける光景だ。卒業式のあとのよからぬ企みで集まったのか。そういう経験が自分にもあるのでわかる。何をするでもなく、何かから開放された自由な気持ちを仲間達と確かめ合っている光景。「俺達は何処だっていけるし何だって出来る」そういうことに気がつく年代なのだろう。そしてまだ見たことのないもの知らないことが沢山あるから、一刻も早くそれらに触れたいのだ。そんなことを思いつつ、それにしてもこんなところでたむろすることもあるまいに邪魔だなぁと脇を通りすぎる。
駅舎を出ると、家までのバスがロータリーの向こう側に停まっているのがわかった。今は平日でも休日運行時間なので、これを逃すとかなり待たされる可能性があるから、少し小走りで停留所へ向かった。
走り出してすぐにロータリーに違和感を感じた。よくよく見ると駅前の全ての灯りが消えている。計画停電だったのだ。仕事場を出る時に家に電話したときは「まだ停電してない」と聞いていたので「今日は見送りか」と思っていたのが油断である。足元も真っ暗になる駅前は走りづらいことこの上なかったが、なんとか発車寸前のバスに間に合った。
ひとつも灯りのない街中を走るバスに揺られいると、異次元に来たような気持ちになる。電気の灯りが生活感だと感じていたから、それがない街はただの作り物にしか思えなくて「まるでジャングルクルーズに乗っかっている」そんな気持ちだ。人の気配といえば、他に道路を走っているクルマだろう。
気がつくと信号だって消えている事実だってある。それでもバスは、ときに交差点の他のクルマにゆずり、又ゆずられて走ってゆく。信号という規則があてに出来ない状況の中で、安全に走る術はマナーなのだと合点する。
家の近くの停留所に着いた。駅前で走るのに難儀したので、家まで歩くのにこれまた気を使わなければならないのかな?と思いつつ降りると、何ということはなく夜空に皓々とした満月でなんの不足もない。駅前はビルに覆われて月明かりが地面まで届いてなかったのだろう。
停留所には人影があり、バスをあとから降りてきた少女を停留所まで迎えにきていたその子のお母さんだとわかる。「わぁ、満月って明るいんだね」と少女がいうと「昔のひとはこの明かりで暮らしてきたのよ」みたいなことを話している。月明かりにだけ照らされている街が愛おしく思えてくる。
さて玄関についたとたんにパチンと指を鳴らしたような音がして町中の灯りが戻った。家人は「全く運の良い奴だ」とワタシに言ったけど、テレビをつけても情報とも呼びがたい分かりきったどうでもよい事象が垂れ流されるばかりで、つまらないから消した。夜道を歩いている方がよっぽどワクワクする。そうしてふと、駅から家にたどり着くまでの自分の気持ちは多分、あの駅にたむろしていた少年達が確かめ合っていたものに近いんじゃないかと思った。
3.11、日本人はその前と後で変わるだろうか?
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