アートリテラシーとは「妄想」である 味写入門(天久 聖一)
美術手帖の5月号で秋本康が友人とアートを見に行くという企画に、勝間和代が連れられていた。
勝間いわく「ワタシはアートに対するリテラシー(読み解く力)がないから・・」と大変消極的で、断る力を発揮できないカツマーを連れまわす秋本康のイジワルさが伝わってくる痛快な記事だった。
ズバリの回答を持たないものが苦手な人がいる。そういう人は大概にして、その回答を持たないものに対して否定的な態度を取ったりするのですが、今回断らずに登場していたカツマーは立派だったねぇ。
しかしアートに対する厳密なリテラシーってあるのかね?確かに作品の出来た過程とか知っていると面白いこともあるけど、結局その作品とどう向き合うかというスタンスだからねぇ。
今回紹介している味写入門はイトイ新聞に連載していたものですね。アルバムに貼られなかった素人の失敗写真を色んな角度から見て味わってみましょうという企画。
企画は面白かったけど、ワタシが本当に面白がれた写真は2枚くらいだったよ。勉強にはなったけどね。
素人の失敗したという写真は「情報量がやたら多い」ってコメントがあって、それが面白かったなぁ。写真のテクニックって写っている情報量をうまくカットしていくことなんだねぇ。バカみたいにいらない情報まで写りまくっている写真が語るストーリーが、逆に面白いというか微笑ましいというか、それを味わおうということなんですけど。
最後に天久聖一とかせきさいだぁの対談があって「味わうって妄想だよね」と言っていて、それにとてもうなずいたのでした。
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