テレビのバラエティー番組について
バンドのページの更新に草臥れたんですが、ちょと気になった話題についての感想を書きます。まず以下リンク参照。
痛いニュース(ノ∀`):「芸人がすべらない話するのは当たり前。あの企画が通るのが不思議」 さんまが、「人志松本のすべらない話」を痛烈批判
リンク先のコメントの中に答えは出ているんですが、思うところを語りたくなりました。
最初に今回のワタシの主旨ではないですが、「さんま氏が批判」ていうのはアオリ過ぎですね。感想にすぎない。この話でワタシが気になったトコロの本質は、ソコではなく「すべらない話」という番組をどう捉えるか?なんです。
「すべらない話」というのはあくまで自虐的なスタンスをも含めた単なるタイトルであって、ここの意味するところは、普通にバラエティーで会話しているのではなくて、芸人の話芸として「話」をすることを主題に置こうという番組、いわば芸を見せるという演芸番組なんだろうとワタシは理解しました。
さんま氏は単にタイトルに対して、アゲアシをとって世間話として笑いをとっているだけで、この点に対してはどこかで気がついていると思います。番組への評価とか、そういうことはこの際どうでもいいでしょう。
ワタシが気になったのは、なぜ松本人志がわざわざ「芸人の話芸」ということをテーマとして番組を立ち上げたかです。
もうずいぶん前になりますが、ビートたけしが著書「コマネチ!」の中でこんなようなことを語っています。
「今のテレビは小中学校のクラスの中と同じような様相を呈している。テレビの人気者はクラスの人気者とおなじで、キャラクターとして好かれているかどうかで決まり、そこに芸は無くてもよい。たとえば、昨日面白かった奴は次の日学校へ来て面白くなくなっているということはない。それは芸で勝負していないからで、芸で勝負しようとしていたら、今日面白くても明日確実に面白いかは、難しい。」
ビートたけしは、そんなことを批判的にではなく理解して、テレビはテレビのやり方演芸は演芸のやり方を実践してきたのだと思います。
昨今のテレビでのバラエティー番組の乱立をみて松本は、単なるキャラだけで消費されるのではなく、芸人の話芸を芸として認めてもらいたいと思ったのではないだろうか?そんな思いが、今回の記事を読んで思ったワタシの感想です。松本の芸に対してのひたむきさを感じたというかね。
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