ものごとの良し悪し
ものごとの良し悪しというものは、色々な観点から見た評価的判断からなると思われ、評論家という者が存在するに至っているのでしょうが、つきつめていくと、好きか嫌いかという感情になるのではないかと常々思っています。それが個人的な感情なのか、万人が思う原理的なものなのかという基準も存在するんですけどね。
それが先日、雑誌をパラパラと読んでいたら、みうらじゅん氏が「ものごとを好き嫌いで選択するのを止めて以来・・・」という文章を書いているのを読んで、ぶったまげたわけです。そこには、判断を下す最終的なものは、「好きか嫌いか」であるというワタシの考えをはるかに超越していて、既に、良いとか悪いとか、判別するコトを放棄しているスタンスがあるんですね。
これ、マジで言ってるんでしょうか。そうなんだろうなぁ。そうすると、あの人の得体の知れないコレクションとか、写真のテーマとかが理解出来てくる。
面白いとか、気持ち悪くて嫌いだとかいう感情を放棄しているのではなく、ただ選択の基準とするのを止めているということなんでしょう。存在するものを全て受け入れて、ただ、それに対する感情を味わうというスタンスなんでしょうね。それってスゲーなぁ、と。
そういうことをまっとう出来たら、この世に存在することだけで、ひたすら楽しい日々だと思いませんか?そんなことに今更気が付いたのは、ワタシだけですか?
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