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January 21, 2006

人間同士なんだから

 しばらく前に、よせばいいのに、もう高齢の両親が携帯電話を買った。
 先日、その使いもしない電話に、間違い電話が入ったらしく、充電ホルダにセットされたままの電話のライトが点滅しているのを、いぶかしく思った父が手に取ると、なにやら喋り声が聞こえたという。
 「誰だったの?なんて言ってたの?」と聞いても、「わからん。携帯はワカラン」の一点張りで、要領を得ない。
 「ワカランじゃないだろう。相手は人間なんだから、話をしないと・・」「携帯はワカラン」「だから相手は人間だって・・」そういうコトである。
 それじゃナニか。道を歩いていて、小さな穴から「助けてください・・」という声が聞こえてきても、「ワカラン」で済ますのかよ、と。相手が見えなくても、何某かの意思を持って話しかけてきたら、コンタクトしないのは、おかしいんじゃないか。まぁ、明らかに「にーさん、にーさん。イイ子いるよ」なんて輩もいるから、最近は注意が必要ですが。

 TVを見ていたら、フィギュアスケートの選手団のパーティーに、ダウンタウンの浜田雅功が現れて、ステージ上でトリノの代表選手にインタビューするって企画があって、ハマダの問いに安藤美姫が、いちいち後ろの選手に振り返って、返事をしようとしないというシーンが度々見受けられた。
 安藤は天性の人で、常人には計り知れない感覚を持った人(ナガシマさんとかが、いい例だね)と聞いてはいたが、ああいうのもいただけないよなぁ。実際はすぐ近くに存在している人間同士なのに、ハマダと安藤の間に、あきらかな壁がある。多分、TVという枠組みの。あっち側の人、こっち側の人という意識を安藤が持つ限り、会話はすんなり進まない。

 思えば、ネットでのコミュニケーションも、そんな感じで、色々問題を起こして来たよなぁ。
 もっと壁を取り壊して、意思の疎通を図っていかないと、世の中おかしいと思うのだよ。どうも最近、オヤジくさいことばっかり言ってるけどさ。

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