上手になるということ
ちびっ子野球教室かなんかで、イチローが呼ばれたときのこと、子供達からの「どうやったら上手くなれますか?」という問いかけに、「毎日道具の手入れをして、大事にすることです」と応えたという。
なんと含蓄のある言葉だろう。
言葉通りに、手入れだけすれば上手くなるかというと、それはどうだかワカランが、この言葉には、行為への「愛」と「感謝」と、「丁寧さ」を持ちましょうというメッセージがあり、そのことを子供達に分かるように、即物的に表現している。世界的プレイヤーは、言うことが違う。
このことは、野球に限らず全てそうで、例えばギターだって、毎日磨く愛情を持ってすれば、上手くなる。ほんじゃぁ歌はどうか?というと、ウガイでもすれば?とケムに巻いてしまうのであるが、重要なのは「愛」と「感謝」と「丁寧さ」なので、道具は関係ないんだよ!わかったかこの野郎!なんて、喧嘩腰にならなくても良いのだが、要するにそういうことだ。
ここで気に留めたいのは、「センス」と「上手=技術」とは、またベクトルが違っているということだ。センスが良いのと上手いのとでは、意味が違うのだ。両方が備わってきて、押しも押されぬプレイヤーになって来る。
「センス」はインスピレーションで、このインスピレーションを身体で受け止められる許容量は個体差がある。あとは、どうやって上手になっていくかだが、最近切に思うのは、丁寧さが重要なんだよなぁ、ということである。
ボーカルなんていうのは、センス一発でいくらでも聴かせられるもので、それだけで他の人と一線を画く事も可能なので、ある程度満足しがちであるが、更に上を目指すには、上手さにも磨きをかけていく必要があるのだ。「愛」や「感謝」は歌詞の心でもあるので、自然と身につくだろうが、「丁寧さ」は、「センス」の磨き方とベクトルが違うので、忘れがちである。
ここで重要なのは、「豪放さ」と「雑」であることも又、別であるということで、どうもソコを一緒くたにしてしまって、よろしくない結果を生んでいる例をよく見かけるし、自分のパフォーマンスでも、思い当たるフシがある。気をつけなければ。
ワタシの友人はゴルフが上手くて、まぁ、子供の頃から大学まで、野球部の主将をやってきているような奴なので、身体も立派で、当然スポーツ万能なのだが、彼は、スコアをとてもキレイな字で丁寧に書く。「ゴルフが上手い秘訣は、そこにあるんだな?」と、初心者のワタシに言われて、彼は何ともくすぐったい様な、ウレシそうな顔をした。その顔を見たとき、ワタシは自分の説が間違いでないことを、確信したものだ。
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