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July 31, 2005

イメージを説明しない詩

 夜中にテレビをつけたら、爆笑問題の番組に京極夏彦が出ていた。
 作中人物のような格好(あの手袋みたいなのは何のため?)で、自信たっぷりに語るスタイルは、なんだかいかがわしいんですが、分かりやすい言葉を選んでつかうので、つい聞き入ってしまいます。
 そんな中で、ハタと膝を打った言葉があって、「100万人の読者が100万通りのイメージを持つような小説を書くために、私は自分のイメージを全く持たないように文章を書いている」と、いったものでした。
 自分のイメージを持って、それを説明するような文章を書くと、読者の中で読者自身のイメージが広がらない、というのです。

 あっ、そうだったのか。実はワタシも意図的にではないにせよ、詩を書くときはそういったコトをしているなぁと。
 尤も、楽曲の詩で命なのは、言葉の持っているビートだと思っているので、説明的な言葉を選ぶことはまず無いのですが、例えば、自分の曲を聴いてくれている人から、その曲の内容・ストーリー・登場人物の気持ちについての感想なりを聞く時、自分の詩に対して、ワタシは極めて他人事のように語ってしまいます。「そう、あの登場人物は、そういった気持ちを持っていたかもね」って。
 どんなふうに受け取ってもらいたいとか、そんな風に思って詩を書いたことは無いんです。基本的にワタシの歌詞って「こんなことがありました。以上」なんですよ。それはハード・ボイルドの影響かも知れませんが、詩の言葉で場面を提供するとか、そんな気持ちであって、後はビートがあればいいと。真実そのものを語りたいと思う気持ちを持ってないんですね。
 だって真実は、それぞれの人の心にあるんですから。

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