「ぱど厨、元気でちゅぅ」って・・
たまたま読んだ風野春樹氏のblog「読冊日記」の"ぱど厨になってみる"で、ネットでのローティーンの実体を知りました。
ローティーンはbbsをメールの使い方で書いているとか、この中で初めて目にした「はしご禁止」「素通り禁止」という風潮に、ワタシも驚愕を禁じ得ませんでしたが、その後の書き込みでそれがネット固有のものではなく、この世代の、否、日本人が昔から持っていた文化なのかも知れないということに、いくつか心当たりのフシもありました。
今から少し前にあった、会社の契約社員の女の子同士のケンカとかの原因が、こういった風潮に近かったなぁなんてね。仲裁する方は、その原因を理解出来ないでいたんですが、当人達をとりまく人間関係というのは、こういうものだったのかも知れません。
ワタシ自身がネットを活用しだしたのは、色々な方々とロックを中心にセッション演奏するのが目的で、全国の趣味を同じくする方々と知り合う場として考えました。このとき、目的は演奏なわけですから、ネットは通信手段に過ぎず、オフ会を行うのが前提なのです。
そうした集まりなので、ネットの匿名性とかと別の次元で関わりを持っていたものの、ネットに特有なヴァーチャルな自分の分身と他者、又は本当の自分との軋轢みたいなものは、よそには存在するだろうな、ということは予期していましたが、このローティーンの風潮にまでは、考えがいたりませんでした。
ただそれがネット特有のものではなく、ネットに乗ったことで、多くの大人社会の人の目に触れただけだったというのが、重要なポイントなんですけどね。
更に勉強になって、改めなければいけないなと思ったのは、少し前に書いた、"「○○道」という考え方が、あるジェネレーションから廃れて来たのが、凶悪犯罪の低年齢化に関係があるのではないか?"という説についてですが、やはりそれは違うだろうということですか。
凶悪犯罪の多発化の原因としての、モラルの低下はあるかも知れませんが、低年齢化の原因ではないでしょうね。子供は大人と比べて周囲を見回す能力が足りていないのは周知の事実であり、逆に子供に正しく生きる道を最初から期待する方が誤りでしょう。教える立場としては。また、昔は子供が殺意を持たなかったかといえば、持つひとは持ったでしょう。
要は、それがスッと出来るか出来ないか、手段が取れるか取れないかというところにあるのかも知れません。
あながち今の世の中、なんでもコンビニエンスになったというところが、クサイ気がします。うまくいえませんが。
そして言えるのは、決してネット自体が原因なのではないはずだということです。ネットはただ、人を写していた鏡なだけだということが、今回わかったからね。
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